1971年ハノイ生まれ1994年ホーチミン法律大学卒業
1995年来日
2000年帰国し、ベトナムのカリスマ料理人である
Nguyen Dzoan Cam Van女史と、
日本人観光客に人気のフエレストランPhu Xuanの
経営者&料理人である、 Hoang Anh女史に師事。
フォーベト代表 ワッチ・キム・イエン
2011.01.17
旧正月のご馳走
ベトナムのお正月は旧暦で、今年は2月3日が元日にあたります。 そのとき、なくてはならないご馳走のひとつにバン・チュンがあります。
豚バラ肉と緑豆をもち米で包み、さらにバナナの葉でラップして蒸したものです。ちまきの大型版ともいうのでしょうか。四角い形で、重箱くらいの大きさがあります。それを12時間くらいかけて蒸すのです。すると、お米はお餅のようになり、とろけるばかりに柔らかくなった豚バラ肉と緑豆が、バナナの葉の匂いと渾然一体となって、えもいわれぬ味と香りをかもしだすのです。
昔は各家庭で作っていましたが、手間と時間がかかるため、いまはほとんど市販品にとって代りました。
しかし、外国に住んでいるベトナム人は入手が難しいため、来日する誰かがもってきてくれるのを待つか、あきらめるしかありません。でも、それは日本人にとって、お雑煮なしでお正月を過ごすに等しく、非常に淋しいものです。
そこで、仲間たちが集まって昔のレシピどおり作ったりします。
私も、日本で毎年作っています。今年は、21個。もち米12キロ、豚肉6キロ、緑豆5キロ。まる2日かかりました。でも、みなの喜ぶ顔をみると、疲れもどこへやら、気分はすっかりベトナムのお正月です。
2011.01.15
フォーの話①
フォーは、日本のお蕎麦やうどんと同じ、国民的な食べ物です。
そこで、私は毎月フォーのお話をしたいと思います。
「フォーの思い出」
フォーはベトナムで最も親しまれている食べ物のひとつです。しかし、ベトナム戦争が終わって食料の乏しい時代、フォーは誰もが食べられるものではありませんでした。当時、私は7歳くらいでしたでしょうか。北部にある母方の実家に住んでいました。そこで、フォーを食べることができたのは、病弱の祖父だけでした。
フォーを売っていたのは屋台で、私は祖父のためによく使いに行かされました。いつも長い行列ができていました。北部の冬は冷たく、客たちは寒風に背を丸め、じっと立ちつくしています。空腹に飢えた目だけが、湯気の向こうにゆれ動く、フォー屋のお爺さんの手の先を追っていました。
次から次へとフォーを鍋に入れてはすくいあげていく手際のよさ。そして、白くつややかな麺がスープのはった丼にはいり、煮込んだ牛肉のかたまりに包丁がいれられる。客たちは何ひとつ見逃すまいと、その手の先を凝視し、肉の厚みや脂ののり方を目でおしはかっているのです。老若男女、貧富を問わず、幼い私も、またおなじでした。
最後にスライスした唐辛子がちょんと添えられます。すると、鮮やかな赤色がフィナーレとばかり、フォー全体をひときわ明るく輝かせるのです。その光景を目にするたびに、私はごくりとつばを飲みこんだものです。喉から手がでるほど食べたかった。でも、私はお使いに来たのだ。フォーは病気のおじいさんのためなんだと自分に言い聞かせ、大急ぎで器にフタをして帰途につくのが常でした。
祖父からは、決しておこぼれをもらえません。もらえるとしたら、それは男子に限られ、末っ子の弟だけでした。でも、フォーという大切な食べ物をお使いにだされるのは、私だけ。「つまみ食いなどしない」という信頼の証なのです。私はその役割を誇りとし、空腹を満たしていたのです。
いま、誰もが自由にフォーを食べられる時代になりました。そして、私は料理人になり、フォーを作る立場になりました。しかし、いまでも、煮えたつフォーのスープから温かみのある匂いが漂うたびに、幼い頃のほろ苦い思い出が懐かしくよみがえってくるのです。








